久慈市の闘牛の起源
久慈市山形町の闘牛の起源は、文献では明らかにされていないため不明ですが、本市は古くから日本短角種の産地であり、昔は主に農耕用や荷物を運ぶ役牛として飼養されていました。
江戸時代に近隣の海岸で焚かれた塩を、牛の背に乗せ北上山地を超えて盛岡方面まで運んでいました。
(この道を塩の道と呼んでいます。)
その際、先頭に立つ牛を決めるため牛の突きあわせをしたのが闘牛のはじまりとされています。
また、これを観光行事として本市に取り入れたのは昭和58年からとなります。