いわて平庭高原闘牛の起源と
地元の取り組み

いわて平庭高原闘牛の起源と地元の取り組み

久慈市の闘牛の起源

久慈市山形町の闘牛の起源は、文献では明らかにされていないため不明ですが、本市は古くから日本短角種の産地であり、昔は主に農耕用や荷物を運ぶ役牛として飼養されていました。
江戸時代に近隣の海岸で焚かれた塩を、牛の背に乗せ北上山地を超えて盛岡方面まで運んでいました。 (この道を塩の道と呼んでいます。) その際、先頭に立つ牛を決めるため牛の突きあわせをしたのが闘牛のはじまりとされています。
また、これを観光行事として本市に取り入れたのは昭和58年からとなります。

久慈市山形町について

当市は岩手県の北部に位置しています。
北上山系の北端に位置するため、高峻な山岳が多く、平地は僅少で総面積の86%が山林原野で占める典型的な山村です。
気候は、太平洋沿岸近くに位置しているため、海岸性気候と内陸性気候の両方の影響を受けやすく、特に夏季の気温は「やませ」とよばれる北東風の影響を受けやすく、一般に低温です。

活動と今後の取り組み

現在は春・夏・秋の年3回開催しています。 (春は6月上旬の平庭高原つつじまつりに開催、夏はお盆の時期に開催、秋は紅葉の時期に開催)

大切に、育成する闘牛

東北唯一の平庭闘牛の特徴は、若い牛(2才)中心の取組みであり、負け癖がつかないよう両者優位のまま勢子が引き分けにします。
新潟県をはじめ全国へ渡り『南部牛』として活躍しております。
本市は、全国でも有数の日本短角種の産地であり、その短角牛が闘牛の素牛として全国へ供給されており、闘牛の育成の産地としての役割を担っています。
今後も市の産業の柱である、日本短角種の振興と併せ観光行事の目玉の一つとして取り組んでいきたいと考えています。